症例
| 患 者 |
M.T、O型、女性、1948年10月27日生 |
| 主 訴 |
上顎前歯部に激しい痛みがあり、噛み合わせることができず、夜も眠れない。 |
| 初 診 |
1983年5月30日(初診時;34歳)。
電話にて緊急処置を希望し、即日来院(紹介者なし)。応急処置を行う。 |
| 診 断 |
X線写真、触診、冷熱反応などから上顎右側中切歯の歯髄処置の必要性を認めた(図1)。
除痛処置後、歯科診療に対しての強い不信・不満のある様子から、既往歴をとったところ、足かけ4年間、週2〜3回の割で歯周病の治療を受けてきたが、その間もあちこちと歯痛のため、眠れない日があった。また歯肉だけでなく、顔面まで腫脹したことがたびたびあって、書k時も思うにまかせず、通院してもむしろ悪化していく感じだったという。口腔への関心は強く、新聞記事、テレビ、健康雑誌などは注意深く目を通しているとのことであった。
全身状態は心疾患のため、幼児期と20歳のときに2度手術を受けた。この10数年問は、毎月1週間から10日間くらいは必ず寝込んでしまうという状態が続いているという。初診時の印象としては、歳よりかなり老けてみえ、弱々しく暗い感じで、なにかふてくされた様子であった。
当診療所での継続診療を希望したことから、全体診査の前に、長期にわたって悩み苦しんできた歯科疾患の原因理解のために、きれいにブラッシングされているかにみえる下顎前歯部からのプラークを採取し、位相差顕微鏡テレビを用いて病因を正しく認識させるのと同時に、プラーク・コントロールへの動機つけを行った。
そして、いままでのみせかけのブラッシングから、正しいブラッシングを確実に実践していくことと、健康になるための治療役割分担として、患者みずからが病因を日常的に正常化していくことを確約していただいた。 |
診療方針(片山方式を試みる)
|
|
@ |
対象を口腔だけにとどめるのではなく、患者さん丸ごと、心身一如として捉える |
|
|
A |
病態を初診時よりも悪化させない |
|
|
B |
治療の最重要な要素である病因(外襲因子・内在因子)の除去・正常化を患者さん自身に役割分担させ、療養として日常生活のなかで確実に施行してもらう(患者さんの治療への積極的参加) |
|
|
C |
自然良能を回復させ、かつ賦活させる |
|
|
D |
病因除去が達成されているなかで、病変組織の改善処置を行う |
|
|
E |
発病させ、増悪せしめた日常生活の歪んだ習慣を改善させる |
症例のまとめ
治療としてはGoldmanのいうイニシャル・プレパレ・一ション(必須初動生活改善準備処置)のなかのフィジオ・セラピー(自然良能賦活療法)に比重をおいて進め、観血的処置はしていない。 下顎右側第一大臼歯、上顎左側第一大臼歯、上下顎両側第三大臼歯などは、かつては良好な予後を得るために、予測性のある治療を行わなければならないとして、医療者からの独断的・積極的判断規準で戦略的に抜歯を推められてしまったであろう。
しかし、口腔全体そのままを患者さんの一身丸ごとのなかで捉え、心身、口腔、歯牙を分割して別個に考えるのではなく、心身一如として把握して対処したことで、患者さんみずからが自己健康化への意欲を向上させ,生活習慣の改善にも努力していただけたのだと思う。
初診後、1年目くらいから食生活改善にも本格的に取り組み、玄米食を実行してくれるようになった。また、当診療所への来院以後、それまで毎月必ず寝込んでいたのが、6ヵ月目に1度あっただけで、そのほかは全くなくなった。今まで、自分は病弱なのだと常に不安とあぎらめをもっていたのが、毎日を自信をもって精進していけるようになった、とのことである。そして最近は歳より若く、明るいハツラツとした女性としての印象を受けている。
本症例のように、進行した病態の意味することは、これまでの生活習慣や、外襲因子・内在因子を含む種々の環境条件がそれほどまでに進行させるほど歪んでいたそのことを肉体を通して示したということである。だから、重症になってしまった病態に対しては、予測性がないからといって戦略的に抜去してしまい、"気づき"へのチャンスを失わせてしまうのではなく、むしろその病いを契機として、発病の原因となった日常の生活習慣を反省し、改善することにより、心身ともに健康な生活を送れるきっかけにすべきである。
そのとき、重症であればあるほど、その生活条件は自然の摂理に厳しく従わなければならないことを意味し、少しでも理にそぐわない生活であるならば、すぐに悪化してしまう。それだけ患者さんにとっては、正しい生活のあり方を教えてくれるものになるし、医療者にとっても、適切な処置方針を要求されることになり、そこから教えられることは多大なものがある。 このように、かつては抜歯していたかもしれない病態の進行した歯牙(智歯なども)も、むしろ治癒傾向にあるばかりでなく、積極的に咀囎機能に参加して臓器としての役割を十分果たしている。その裏には、患者さんみずからが健康になろうとした努力があればこそのことである。そして、それに応答するかのように生体のもつ自然良能が回復し、そのうえ賦活されている。 本症例を通して想うことは、生体にある自然良能の存在の確認とその証明である。
これからの歯科医療の考え方と進め方
歯科治療が行われるにあたっては、
|
|
@ |
目的となる口腔あるいは歯牙がよく診査され、熟知される |
|
|
A |
治療実践者に知識と経験があり、そのうえ能力の限界をも心得ている |
|
|
B |
その両者間での治療活動を遂行可能にする環境条件がそろう
|
などの3構成要素が組織的に統合されたところでのみ、成功に導かれるといわれている。 しかし、この治療体系だけではその歯科疾患を身体の部分的障害として、一口腔単位のなかで独立させてしかとらえていないことになる.身体の一部分がわざわざ支障をきたし、その人を苦しめるのはなぜなのかというように、少しでも考えを深めてみれば気づくことである。
すなわち、結果としての症状が部分的に出現したとしても、その真因は全体的問題のなかにあり、その真因が正常化されないかぎり、結果としての歪みは必ず再び生じてくるものである。医療が行われている現場では、その障害部分だけを取り出した対症療法が行われているにすぎない。 歯科治療が医療として行われ、それが身体臓器として生かされていくためなのであれば、医療者が患者さんと出合って治療活動を行う場合には、まず第一にその対象を患者さん丸ごとの一身単位として捉え、心身一如としての対応がなされなければならないはずである。 すなわち、
|
|
@ |
人はなぜ病気になるのか |
|
|
A |
その病気は治るのか |
|
|
B |
病気をなおすにはどうすべきなのか |
|
|
C |
再び病気にならないようにするには、どうすればよいのか |
|
|
D |
病気になった人は、治るのか、直るのか、癒されるのか |
|
|
E |
病気とかかわりをもってしまったことはなにを意味するのか
(その人の一生になんのかかわりになるのか)
|
などの点で、患者さんとの出合いを受け止めるべきである。
これらは医療においての最重要な問題であるのに、そのいくつかはいままであまり問われなかったようなので、明確な答が出せることではないであろう。しかし、もし、これらの問いに医療者が答えられれば、患者さんはその本分を得ることになるであろうし、もし医療者とのかかわりをもってしても答が得られないとしたら、患者さんにとって病気になってしまったことは、病気に耐えて生活せねばならないヒト(patient)となってしまったことだけになる。そしてその担当医療者としても、よくて単なる応急手当師としての修理屋にしかなりえないであろう。
医療担当者は常にこのことを心に留めておき、その患老さんへの適切な答を導ぎ出せるように努力し精進しなくてはならない。特に、歯科2大疾患は日常のさりげない生活習慣に由来していることが明らかなのであるから、
@に関しては、患者さんにしてみれば「むしろ文化的なよい生活をしていて、なんら悪いことはないはず」と思い込んでしまっている。そのさりげなさのなかに、実は不調和があったということなのである。だからそれを押しつけ強調することなく感じとってもらい、意識しての生活へと、患者さんみずからに改善していただかなければならない。
Aに関しては、症状は条件を整えれば緩解されうるということ、しかし、自然治癒力のない組織では元に戻れないということを医患ともに理解すること、であるが、現在までの歯科領域では齲蝕を中心に活動していたため、歯冠部の自然治癒力のない硬組織だけの取り扱いに慣れすぎてしまっていた.そのため、血液の流れのある所は生きているのであり、すべて自然治癒力のある変化しうる組織であることを、医患ともに忘れてしまったかのようである。
Bに関しては、真の病因除去が継続的に成功しているなかで、病変組織の改善が行われることである。
Cに関しては、根本原因対策が完備すること、すなわち、永続的に病因除去が定着し、改善された生活が習慣化し、健康増進のための日常生活を喜びをもって自主的に送れるようにすることである。
Dに関しては、対症療法だけの緩解なのか、その病因となった生活をも直させうるるか、患者丸ごと心身一如としての治療がなされるその体験から光明をみとれるようになるか、であろう。
Eに関しては、みずからの身体が蝕まれたことを通して、生かされていることに気づき、自己に目覚め、自然への畏敬の念と感謝の心が生まれ、それを育むことになるのではないだろうか。
この生かされていることへの感謝が、医療の現場で育てられることによって、患者さんは、虫歯1つできてしまったことをも、自分の糧にしていけるのではないのかと思っている。
別の見方をすると、われわれ人間は他の生物と同様に、実は自然のこの地を土台として生活しているわけであるが、いつの日からかその自然環境との平衡関係が保てなくなり、自己管理の域を脱してしまい、それを補う意味で医療が必要になってしまった。その原因はさりげない日常生活のなかにあり、多くの場合は、無自覚に、あるいはわかっていてもその状況での欲望に負けてしまって、みずからのおかれている環境条件とのバランスを崩してしまったということにある。
この自然環境にはその摂理として自然淘汰という理があり、反したものは淘汰されてしまうということは誰しも認めるところである。そして、われわれが日常行っている医療の理論的根拠としている医学は、その自然淘汰に真っ向から対立するところにその存在の意味がある。しかし、自然の道理、摂理に反したものが、どのようなことであったとしても、過去において正当とされ、そして存続を許されたことは全くなかった。
反発するとはいえ、この地にいまも、そして今後とも人間が生存を続けようとするのであれば、自然環境との営みをとりつくろう意味での医療は欠かすことができない。それこそが、人類の目的である永続的種族保存のために必要であると思われている。しかしその前に、個々人の範囲としての個体維持の集積がその目的に向かうものであるから、1人1人がそのおかれている環境との平衡関係を保ちうるようにならなければならない。
だとするならば、自然淘汰に真っ向から対立するかともいえる現在の医療にも、医としての理があってしかるべきであり、その道こそ医道ということに.なるのではないだろうか。
医療とかかわり、それを糧に生活する者として、自然の道理と相反しない存在の意味は、その対象となる人それぞれが1度は患老さんという立場に陥り、医療者への依存にあずかったとしても、その臨床の現場でその担当者の良導によって患者さんみずからが管理できるようになり、自主的健康回復への道に目覚め、健康人としての永続的な自立に成功し、患者(patient)としての立場から自立して、健康増進指導を受ける依頼者(client)に成長すること、この道にしかないであろう。
そのためには、完壁さを追求し達成することをもってよしとする現代歯科学の渦中にあっても、その理想的な完全な治療への想い、そのことのなかにある"安心"という陥し穴に医患ともに陥いることなく、自己を確立していくこと。そして、アロパシー医学では説明しぎれていない生体のもつ自然良能を認め、それを回復させ、加えて賦活していけるような生活へと善導していく臨床活動こそ大切である。それが道理に反さない正当化されうる医療となるのではないだろうか。
鎌倉時代の道元禅師は、その著r正法眼蔵』のなかで「仏道をならうというは、自己をならうなり.自己をならうというは、自己を忘るるなり。自己を忘るるというは、万法に証せらるるなり……」と述べているが、仏道というところを、医道をならうというは……と置き換えてみると、そこに真実が浮かびあがってくるようである。
それと関連して、「医療を成功に導くための人問関係のあり方」をテーマにした片山二次セミナーで、片山恒夫先生は、「いとわない」精神と行動とを述べられたのであるが、これこそが医療者必須の条件であり、このいとわない心こそ「自己を忘るる」ところであると感じ入った。
結びとして、古来日本には"医は農に学び・農は自然に学ぶ"という諺があるが、現代歯科医学の最先端にあると自他ともに認める米国でも、そのなかにあって、偉大なる歯科医師Dr.W.APriceは、その著書『食生活と身体の退化』の巻末に、「生命があらゆる面で十全であるためには、この母なる大自然に従って生きなければならないのである」と記している。まさに理は時代を越え、そして洋の東西を問わず、変わりえようはずがない。
この小文を書くにいたるには、多くの先輩諸氏の影響・教えを受けてぎている。特に、真泉平治日本歯科大学名誉教授と薬理学教室員の皆様、Dr.Daryl
R.BeachとHPIの皆様、久保慶浩先生とエンパイア歯科の皆様、駒沢大学教授・鈴木格禅老師、片山恒夫先生と片山歯科研究所の皆様には心より感謝するところであります。また、いたらぬ私をここまで導いてくださった患者さん各位には尊敬と感謝を申しあげたい。
文献 1)Beach,D.R.編:歯科ホームポジション診療のシステム.医歯薬出版,東京,1975. 2)Beach,D.R.編;歯科医療の論理と実践.医歯薬出版,東京,1976. 3)Beach,D.R.:コミュニティヘルスのための歯科協同組織.General
practicein
dentistry5. システムプランニング販売局7大阪71978. 4)片山恒夫:ある開業歯科医の想い.豊歯会,大阪,1983. 5)Price.W.A.(片山恒夫訳):食生活と身体の退化.豊歯会,大阪,1978. 6)Goldman,H.
et
al.(石川純,佐藤徹一郎監訳) :ゴールドマン&コーエン歯周治療学(第5版).医歯薬出版,東京,1979. 7)浜田茂幸:虫歯はどうしてでぎるのか.岩波書店,東京,1982. 8)橋本行生:あなたこそあなたの主治医−自然治癒力の応用−農山漁村文化協会,東京,1982. 9)小倉重成:自然治癒力を活かせ−難症治療の決め手−.創元社7大阪シ1980. 10)Weil,A.(上野圭一訳):人はなぜ治るのか.日本教文社,東京,1984. 11)渡辺格:人間の終焉.朝日出版社,東京,1976. 12)池見酉次郎:セルフ・コントロールの医学.生態学的栄養学研究,(8):51〜63,1984. 13)沼田勇;医学の不安−死滅の危機と生存の処方−農山漁村文化協会,東京,1977. 14)加藤辮三郎編:末燈抄.日本放送出版協会,東京,1982. 15)福岡正信:自然農法一緑の哲学の理論と実践.時事通信社,東京,1983. 16)尾崎正俊;患者さんと何について話したらよいか.クイソテッセンス・ジャーナル,(9):7〜13,(10):7〜13,1983, 17)高橋堅−歯周外科は是か非か−歯周疾患を通しての私の対応一.デンタルエグゼクティブ,1(2) 67〜7071984. 18)久保慶浩ほか:歯周外科は是か非か.デンタルエグゼクティブ,2(2):55〜70,1985. 19)藤巻五朗:歯周外科は是か非か一歯周疾患治療とフィジォ・セラピーrデンタルエグゼクティブ,2(1):66〜70,1985. 20)藤巻五朗:アマルガムによるコアークラウン.デソタルダイヤモンド,3(11):92,1978.
21)藤巻五朗ほか;ファミリーデンティストをめざして.デンティスト,6(7):67〜74p1981
|