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歯科医療への道(上)
歯科展望,66(2):383〜392,1985
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はじめに
昭和59年7月15日、所属研究会(CDC)で最近の臨床展開の有様をそのまま提示したのが縁となって、執筆の依頼を受けた.私の治療方針を理解していただくために、まず、臨床にかかわりをもってから現在までの紆余曲折について記しておかなければならない。
学生期(昭和43年)
登院実習生のころ、大学教育における机上のものが、臨床の現場ではどのように実施されているのかを知る目的で、ほとんど毎夕、多くの開業医を訪れ見学させてもらっていた。
それらのなかで、某大学院卒業後講師をされている先生の診療所では、「みてるより、やったほうが勉強になる」ということで、冠の装着を手伝ったことがあった。無縫冠のマージン部を鋏とプライヤーでなんとかやっと合わせたつもりでセメンティングしたのであったが、あとで「あの冠を何分でセットするかが、君の人生を決めるんだよ!」といわれ、昼の教育者と夜の臨床医とのあまりの差に、とても大きなショックを受けた。また、ある歯科医師会の役員をされていた先生の所では,他の窩洞のものではないのかと思われるほど周縁部の不適合なインレーを、「その患者のものだからセットするように」と指示され、セメンティングしたこともあった。
これらは、いずれも1度きりの訪問でやめた所の印象深い想い出である。このことからも、私は歯科医学として行ってはならないと教えられていた医療行為を行ってしまっていたわけで、想い返してみて、学生時代は歯科医学生としての自覚がまことに乏しく、なんのために教育を受けたのかわからないという混乱した状態にあった。
卒業(昭和44年)
教育と臨床現場との間に、あまりに広く深い溝があることを感じて、このままではとても社会には出られないと思い、基礎研究室に残り、毎夜間のアルバイト診療をすることで臨床とのかかわりをもった。アルバイトながら寛大な院長の処遇により、ノルマとか限定された方針はなく、自由に診療させていただいた。
それにもかかわらず、私の臨床は歯冠部修復がそのほとんどであり、主訴部だけを診査し、病名をつけ、処置していくということのみであった。患者さんにとって、病状の診査・診断は重大な意味をもつ。しかし、卒業後問もない私にしてみれば、診査して病名を決定するということは、その疾病が見慣れたものか、守備範囲内であるかどうかを確認することと、処置を行う際に、その診断名と結びついた治療指針を選び出すための手段でしかなかった。そして、その処置を型通りに実行してさえいれば、それこそが医療であると思い込んでいたのである。
病気の原因は全くそのままにしておきながら、齲蝕再発予防としての予防拡大を行ったり、アマルガムが2次翻蝕を発生させやすいからと、わざわざインレーに置き換えたり、バケツ冠が歯周病の原因であるからとして鋳造冠への転換治療を行ったりしていたのである。そして、そうすることが治療を完成させることになるのだと、義務感さえもって診療をしていた。すなわち、歯科を1歯単位としてとらえ、しかも病因は放置したまま、歯だけの修繕としかとらえていなかったわけで、患者側に立った医療の見方には全く無頓着であったのである。
医療への目覚め(昭和47年6月)
自分の行ってきた治療行為を反省しようともせず、それでもなにか不自然で,医療に携わる者としての満足感とは全く無縁のところで悩みあぐね、「歯科医療とはどうせこんなもの」と割り切って開業を計画したちょうどそのとき、偶然にもDr.Beachに出合った。
名前も知らない外人から出合い頭に「君は歯科診療についてなにもわかっていない」といわれてショックを受け、すくにDr.Beachのセミナーを何回となく受講し、いままでとは全く異なる歯科診療の考え方、実践法のあることを知り、歯科医として喜びの人生のあることを教えていただいた.その診療の展開こそ絶対的であると思え、開業を延期して勉強の仕直しをすることにした。
そして、幸運にもDr.Beachゆかりの診療所で4年半の間勤務させていただぎ、その教えを素直に実践できたことは、かけがえのない体験となった。しかも院長からは,医療人としてのあり方、生き方を身をもって教えていただき、そのことがその後の私の人生観に大ぎく影響することになった。
Dr.Beachにはいろいろ教えていただいたが、当時その柱となったのは診療時の姿勢に関してであった。
歯科治療は、その細かな活動を正確に、失敗することなく、しかも長時間行い続けなければならない。そのためには考え方の出発点を、実践者の体の位置づけを正しくさせることにおき、そのうえで知覚と動ぎの限界を知ることが大切となる。自然で安定した動きができるバランスのとれた全体姿勢をとることが基本であり、その姿勢こそが、とぎすまされた感覚器官を駆使した動きを可能にし、それを一定性のあるように熟達させていくときに、はじめて目的ある活動を正確に効率よく行うことがでぎるのである。
というように、歯科治療は緻密な行為であり、その活動の危険率を最小限とするためには、その活動の原点を術者側におき、動きの正確性を最重視したものであった。
その他、Dr.Beachには、
歯科医療を行う際の4つの治療目的
@口腔衛生の確立と維持
A組織抵抗の増強または維持
B口腔内の好ましい力関係の確立と維持
C日常,他の人にみえる口腔範囲の自然な外観の創造または維持
治療の範囲(治療段階説)
@緊急治療
A基本的予防処置
B疾病の進行が著しい場合の予防処置
などについても教えをいただいた。
そして、歯科治療は1歯単位ではなく、1口腔単位として、患部だけでなく、口腔全体を把握しなければよい結果は得られないこと、治療活動は「治す」ということより、患者の「自己管理のしやすい環境づくり」を正確に行うことに、その責務があることなどであった。
この正確に治療するという考え方は、私の勝手な解釈のなかでどんどん増大していき、当時のクラウン・ブリッジを中心とLた歯科の流れとあいまって、「完全なる治療」への希求となっていった。
近代歯科医学を早く身につけたいとの一心で、外来講師や帰国留学生の講演会だけでなく、米国での卒後研修会などにも出席して、理論に基づいた精密な補綴治療を中心に、修復・根管治療・予防などを研修した。そして、それらを患者さんの口腔内で表現することこそリハビリテーションであり、完壁な医療になるのだと、1人よがりの思い込みをしてしまっていた。
そのうちに勉強すればするほど、完壁さへの追求となり、臨床的に複雑化し、患者さんの負担も増大していくかに思え、勉強さえしていれば患者さんに喜んでもらえる臨床がでぎるのだという思い込みとは裏腹に,なにか体に寒ささえ感じてくるようになった。
それは、より正確に、より精密に、と現代科学を生かして完壁さを求め、"Forthepatient"の旗の下に、医療者側がbetterdentistryを追求することと、一方,患者さん側からみて医療の恩恵に浴するこどとの問にはかなりの相違があるのではないかと感じてしまったからである。
ところで、Dr.Beachは昭和50年ころより、「健康管理活動の最終目標は、活動そのものがゼロになることである(Health
Care-0)」という絶対的価値感に立った医療人の最終目標を提唱した。そして、そのHC-0を基盤にして、それまでは全く統合化されていなかった歯科における全治療内容を整理して、昭和52年にSl index(図1)として発表した。

図1 口腔健康状態と医療としての人為的介入との指数表 Health Status/Intervention Index
(コミュニティ・ヘルスケアNo.1('81),No.3('83) APLO No.2('84) HPI資料(三明訳)などをもとに作成)
SI indexについて
SI indexとは、口腔の健康状態(status)と、それに作用していく医療行為(人為敵介入=intervention)の指数のことで、絶対的価値観からみると、医療行為はすべてが負の存在であるということを表示したものである※。これは、医療行為の理想的目標であるHC-0(健康管理の必要性が皆無になること)に向かって、日常の治療活動をHC-0(介入なし)からHC・-1(100%依存状態)までに分類したもので、負の値が大きくなるほどそれに必要となる人為的介入度合いも大きくなり、憲者さんの健康を回復させるのに要する資源、すなわち対症療法手順を完了するのに必要な精神的・肉体的・時問的・経済的・天然資源的な負担もいっそう多大になることを明確に示したものである。
この指数表示により、治療として行われているそれぞれの活動が、医・患両者にとってどのような時点に置かれているか、その価置づけが明確に認識できるので、患者さんはHC-0をめざした自己管理への志向が受け入れやすくなるし、また医療者側にとっても、HC-0への診療実践義務がはっきりしてくることになる。
私がこのHC-0を最初に耳にしたときは、医療活動の目標をはじめて絶対的価値観という点から明確に教示していただいたということで、ほんとうに驚き感動した。そして,医療という尊い職業に参加していながらも、仕事を通じて受ける喜びがどこか浮わついていて、本物とはなにか違うというように感じていたので、いままでの判断が相対的立場からみた医療でしかなかったことにハッキリと気づかされたのであった。
そしてHC-0から演繹していくと、医療人のほんとうの仕事というものは、最終的には自分の職業を抹殺させるところにあるということになり、そのように働けるためには、高く強い人間性を備えていなければならず、いかに自分の人間性の修練をするかが問題となってきた。そして、その修練は仕事を行う現場でしか体得しえないものであることから、臨床医としてはあまりにも未熟すぎることは十分に知ってはいたものの、HC-0の考えを基調にした臨床の輪を広めていくという意味からも、開業することになった。
※Dr.Beachにより発案され、HPIで開発されたこのSI
indexは、WHOのMeetingofaSub-Group of Oral Health Expart
Panel(日本代表河村洋二郎大阪大学名誉教授)によって検討され承認されたものである。
開業(昭和52年6月)
医療の目標を「ヒトとそのおかれている環境との平衡をつくり出すこと」と明確に設定し、医療従事者は「患者さんが日常、口や歯のことなどを意識しなくとも楽しく、有意義な健康生活が送れますように」との願いを込めて、その実際の活動目的を「口腔健康の自己管理の創造と確立、そしてその維持の達成」とした。
すなわち、歯科医の仕事としては、,患老さんが自己管理できる環境をつくり出すことであり、歯科衛生士はその管理法を確立させ、持続でぎるように指導することであるとした。そのころの診療の流れを図2に示す。

図2 口腔健康管理の流れ(1979.6.CDCにて発表)
それは、診療所の活動を、歯科治療をすること(cure)から、患者さん自身による口腔健康管理の達成(care)へと広げていぎ、診査・説明・治療などの全活動過程を通して、患者さんが病いを得たことで、みずからに目覚めていくことをも期待していた.というよりも、そのように患者さんと出合うことにより、私自身が医療者として目覚めたいという潜在的思いが隠されていたのかもしれない。
そんななかで、新患に対Lては自分の思い込みのまま診療を進めていったのであるが、定期診査で再来する患者さんの口腔内をみると、治療した当時の思惑とは異なっているケースが多々あった。それは歯科治療の根本問題であり、病因除去の柱となるプラーク・コントロールが、予想したほど定着してなかったということである。
以前であればあまり気にせず、プロフィラキシスと称して、歯科衛生士がスケーリングとクリーニングをして済ませていたが、自己口腔健康管理を日常的に達成させるということを活動目的にしたにもかかわらず、それとはほど遠いところに患者さんがいるという事実に対して、自己管理の確立の難しさを、苦い想いで感じ始めていた。しかも処置後8〜10年経過した症例などでは、歯根破折、歯周病の悪化、修復物のトラブルなど、問題も目につくようになってきた。ちょうどそのころ昭和56年9月に、片山恒夫先生の1回片山歯科セミナーを受講することになった。
医療への新たな想い
片山セミナーでは、開業医としての50年近い臨床のすべてを、長期経過観察のスライドを通して、4日間にわたり、つぶさに教示していただいた。
それは、片山先生が歯科医師を職業に選んだ動機に始まって、病弱だった学生時代,昭和11年開業、そして大戦中・後の混乱のなかでの予測性のある治療法を確立してからの症例を通した、医療の考え方、科学(歯科医学)と臨床との関係、医道と医業のことなど、医療の本質についての内容であった。また、文献の取り上げ方にしても、行間を読むということだけでなく、もっと細かく、用語1つ1つの意味を深く掘り下げて語源を探り、ご自分の解釈をまとめあげておられた。この点なども私にしてみればまことに驚きであり、激しい衝撃を受けた。
片山歯研セミナーは歯科医師必聴のセミナーであると考え、研究会会員全員に参加を呼びかけた。また、私にとっても1回の受講ではその衝撃に溺れるだけになるので、第2回目も出席した。そして、片山先生の教えを臨床で実際に応用してみたあとに、問題点をもち寄って行われた2次セミナーなど、現在まで大磯で開かれたセミナーをすべて受講した。
それらのセミナーを通して、それまでの私の苦い臨床体験の解決の糸口をやっと見い出せた思いがした.といっても、医療とは根深い問題でもあり、片山先生の50年という奥深い臨床は、そう簡単には理解しえようはずもないことであった。
しかし、いままでの臨床からの脱皮をはかるため、セミナーや片山論丈集※をもとに、私の理解の範囲で片山式診療の流れをまとめ、日常診療の展開のあり方を、片山方式と思われるものに切り換えて行うことにLた(図3)。
これまでの診療との最も大ぎな相違点は、疾病原因対策に関してである.すなわち、セミナー受講前(図2)では、病因の除去の診療体制が弱体であったが、病因正常化を最優先とし、患者さんみずからも治療に積極的に参加してもらい、治療の役割分担として、みずからの手で病因を取り除くという「医患協働体制」にしたことである。
※開業医の想い.豊歯会.12,000円

図3 日常の口腔健康管理活動の流れ (片山歯研究セミナー・片山恒夫論文集をもとに作成。藤巻,1984)
片山式臨床の特色
片山式臨床は初診・治療・技工など、診療のあり方すべてが私にとって目新しく,興味深いものであった。そのなかで最も特徴ある点といえば、歯科疾患の原因といわれるプラークを位相差顕微鏡テレビを使って、あからさまにした点であろう。近年までは患者さんだけでなく、医療者すらも、プラークの内容は食べかすであると思っていたもである。ところが実は細菌の塊であったということを、日常診療のなかで検査し確認していくの。である。
医療者にとっては、プラークの組成を量のうえでも種類のうえでも確認し、その成熟度=為害度を調べるために、そしてその生態系の変化の有様を確認したいがために顕鏡し、それをもとに療養指導をするのである。しかし、患者さんにしてみれば、テレビ画面に映し出されたプラークが、実は食べかすではなく、生きた細菌の塊であったということを、すぐさまドッキリカメラ的に理解できてしまう.そのうえ、それがいまも自分の口腔内に実在しているということで、ショックは大きい。だからその応用の仕方次第では、とても効果的に自己管理の動機づけに利用でぎるものとなる。
この位相差顕微鏡テレビによる病因の検査と病因への理解は片山先生の発案であり、また日常臨床において最重視していることである。そして、そのうえに立って、病因の除去=病因の正常化を患者さんの日常生活のなかで徹底して行っているのである。これこそが片山方式の特徴であり、片山先生以外の診療体系では、これまでになかった点である。
歯科2大疾患の病因の正常化について
医療活動の基本問題である病因の受け取り方も以前とは変わった。齲蝕と歯周病はともに感染症である.このとぎ感染源である細菌およびその代謝産物は、外襲因子として、感染症が成立するための動因として働く。同時に、宿主側では、組織の抵抗力が内在因子として感染されてしまうほどに低下しているのである。であるから、病因の対策としては、外襲因子としてのプラークのコントロールと同時に、内在因子としての抵抗力の低下した組織に対する考慮も、当然必要となるのである。
1)プラーク・コントロールということ
プラーク・コントロールを、かつては”プラークの除去”として、なにがなんでもプラークのない状態を意識したのであるが、コントロ一ルの意味するところは少し異なる。それはむしろ"セルフ・コントロール"という場合の意味(人間らしいバランスのとれた働きのでぎる状態、すなわち自己なるものの正常化)と同じように理解すべきである。
プラークとは、口腔内常在菌としての無毒菌もしくは弱毒菌が、ある条件下で不溶性の粘着度の高い分泌物=グルカン(ある種の細菌の異常状態での代謝産物、いわゆる下痢をしたときのウンチ)により集塊して、その代謝産物をもまきこんだ状態をいうのである。
そして、水溶成分(細菌のオシッコ)としての乳酸やピルビン酸などは不溶性の膜下で蓄積していぎ、pHを5.4までに下げ,エナメル質溶解として働くようになる。また、デキストラン(細菌のウンチ)などやグルカンなどが堆積して、嫌気性菌の生息可能条件を形成し、歯周病を増悪させることになる。
これら2大疾患の原因であるプラークのコントロールとは、不溶性の膜を歯ブラシの毛先で突き破り、乳酸、ピルビン酸などを洗い流し出してあげることである。そして、堆積したプラークを歯ブラシを使って、あたかも畑を耕し、地中に空気を送り込み、土壌を正常化させるのと同じように耕し、ひっくり返し、ゴチャまぜにすることにより、嫌気性菌の発育環境を消失させることでもある。
すなわち、細菌群の生態系を変えることを目的とするのが正解であって、プラークの完全除去ではない、それはむしろプラークの正常化と解されるべきことである。これがまた、Dr.Beachのいう治療の4つの目的の第1「衛生の確立」にあたるものである。
2)内在因子一組織抵抗力について
感染症が成立するときは、常に内在因子としての組織抵抗力の低下が実在しているのであるから、その病変組織の抵抗力を回復させ、なおかつ賦活させていくことは、絶対に必要となる。
しかし、進行した歯周病の場合などの組織抵抗力の正常化は、歯ブラシによる歯肉表面からのマッサージ効果など、局所的な対応だけでは限界があり、全体的問題としての対策が必要となることが多く、1口50回噛みなどの食習慣や、いわゆる体質改善を含む日常生活習慣の改善をはからなければならない。
この内在因子への対策を片山説では「自然良能賦活療法」といい、イニシャル・プレパレーション(必須初動準備処置)の柱として行っている。その結果、発病にいたらせた生活習慣を改善させ、病変組織を回復させるだけでなく、自己健康化へと向かわせるのである。詳細は片山論丈(本誌60巻3号,昭和57年9月号)を参照されたい。
この自然良能の賦活こそ、Dr.Beachの4っの目的の第2「組織抵抗の増強」にあたることになるので、私としては、片山セミナーを通して、やっと4つの目的をすっぎりした形で理解しえたのであった「r組織抵抗の増強」という言葉を教えていただき、また成書でも「原因の1つとしての内因」、「宿主」などの丈字をみていながら、その意味をつかみきれず、実際のところ,いままでの臨では全く対応せずに過ごしてきた領域であった。
歯科医療の効果とその判定について
片山先生の症例では、常に驚嘆することが2つある。1つは炎症性歯肉が確実に改善され、短期間に健康歯肉になってしまうこと。2つめは、要抜去(戦略的抜去適応症)とみなされる重症歯の長期保存である。
それには診療各段階に明確な指標をもって、確実に対処されているからだと思う。
いままでの歯科医療は「痛い・噛めない」という主訴への対症療法として行われてきたので、その効果判定は咬合の回復と、その機能状態だけを指標としていた(図2)。しかし、咬合機能が回復したとしても、病因(外襲因子と内在因子)が改善されたことを意味するものではない。よって、対症療法だけでなく、病因対策をも含めた根本治療であれば別な判定指標が必要となる。
それには、病因と同じく生きており、状況変化を受けやすいデリケートな組織で、しかも医患両者から判断しやすいものであったほうがよい。そこで、歯肉を指標とすると、病因の正常化されていく状態変化を明確に把握できる。
プラーク・インデックスは、いわゆるよそいぎ磨ぎ=訪院日だけのブラッシングでもよい成績となるが、そんな程度のブラッシングでは歯肉の改善はなされていかない。歯肉は外襲因子だけでなく、全身的・体質的な内在因子の影響をも受け、たえず微妙な変化をしている。だから、日常的に病因(外因・内因)の除去が達成されているかどうかは、歯肉の健康度をもって判定したほうがよい。
臨床的には、スライド写真に記録して、OHPを使って、歯肉の変化を経時的に見比べることにより、ブラッシング・食律などを含む病因正常化への生活習慣の改善度を確認・評価し、指導するのと同時に、医療者は、その指導の適否を自己評価していくのである。
再発を防止できないいままでの欠陥診療から脱皮して、歯牙の長期保存を望むのであれば、病変組織の改善処置に人る前に、病因除去の生活が日常的に習慣として確実に達成されてなければならない。そのためには、治療計画の一部である病因の除去を患者さんに役割分担してもらい、日常生活のなかで確実に実行していかなければならない。
そのように、療養として、自分の力でみずからを健康にさせていこうと生活習慣を意欲的に改善することは、疾病回復治療として必要となるだけでなく、病変部が改善されたあとも、健康を保持し、促進させるためには必要となる。この療養=メインテナンスの実績の評価としては、歯肉の改善度だけでなく、自己健康化とその意欲を指標として意識し、評価しなければならない。その結果として生活環境の改善がなされていく。そして、その生活環境の改善実績を指標とすることで、さらに永続的な原因除去生活が定着することになり、その時点ではじめて、再発も防止され、加えて、患者みずからの健康づくりにも役立つことになる。このようになってこそ、医患両者がともに納得できる医療が成り立つといえよう。
「よりよ歯科医療をめざして」いう陥し穴
片山セミナー受講により気づかされ、これこそが重要事項であると思われることに、診療の根本問題があった。
近年の歯科医療はmodern
dentistryの名のもとに舶来文化として、いかにも科学的であり、真実味のあるかのごとくである.そのなかでも、better
denistryと称するものは、"For the patient"の名のもとにより科学的に,より精密にと、現代科学を駆使して完壁さを追求して、「Best is
one」だから「このように治療すればもう大丈夫ですよ!」といって患者さんに同意させ、それを口腔内に具現化することで、治療の完了としているのである。
しかし、その"よりよく"を突き詰めたうえでの完壁な治療とは、患者さんにとっては理想的な治療であり、完全であるとの意識を生み、完全であればもうすっかりよい状態にあるので大丈夫なのだとの安心感をもたせることになる。そしてその安心感こそは、健康回復とその維持のために必須である"発病にいたらせた生活習慣の改善への努力を怠らせる要素として働き、ときには以前にもまして悪しき生活へと誘導させてしまいかねない。
その結果、いままでの病因をそのまま温存していくか、それ以上の病因をつくりあげていく生活をさせることにもなり、ひいては処置そのものを崩壊させていくことになる。安心感をもたせるほど完壁な治療が、実は医原病の起因になったというわけである。
だとすると、modern
dentistryにも大ぎな欠陥があり、文明信奉としての科学的に完壁な治療には、完壁であるがゆえに患者さんを安心させてしまうという大きな陥し穴があり、それこそが医原病作製治療だということにもなりかねない。
このように、「患者さんのためによりよい歯科医療を!」ということで、完壁なる治療を模索し続けているmodern
dentistryのあり方自体がすでに問題を含んでいるのである。
また、だからこそ、いままでにもあらゆる文明が進むにつれて、病気はむしろ増えこそすれ、減少していないということになるのだろう。
この問題こそが医療不信の元である。しかし医療者も患者もそこまでは気づかず、苦い想いをしているのが現状であり、私自身の反省としても、まさに思いあたるところ大であった。
この陥し穴こそは、今後の医療の展開において厳しく心しなければならない重要な診療の基本間題であり、片山恒夫先生がセミナーを通して気づいてほしいと思われている点である。(つづく)
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