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歯科ジャーナル,25(6):744〜748,1987


はじめに
 開業歯科医にとって最も懸念することは、目前の患者さんへ施療しようとしているその治療行為が、医療における総合的視野に立っての考察を十分に行ってのことなのか、しかも、診療所と施療者の力量をも十二分に評価した上で決定された治療方針とスケジュールであるかどうかである。
 しかし筆者の場合、卒後18年、開業10年を過ぎた現在でも治療計画をたてるにあたって重要な項目であったとしても、その言葉が何を意味することなのかをト分に考察することなしに、何となしに解ったつもりになって臨床応用していることがいくつかある。それらのうちの一つにInitial Preparationという項目があった。
 近年lnitial Preparationという言葉はよく耳にするが、そのほとんどが歯周治療のときに使われているように思われる。本特集のように、補綴処置に入る前に、果してどれほどの歯科医がInitial Preparationを意識して施療しているのであろうか。
 たしかに、複雑多様な要素を含む歯科治療を総合的視点に立ってプランニングするというのであれば、どのような処置を行う場合でもInitial Preparationは必ずといってもよいほどに必須な項目であるばかりでなく、最重要なこととして臨床に取り入れていかねばならない。
 筆者がそれほどに強くInitial Preparationを治療最重要項目と意識しはじめたのもここ5〜6年ほどであるので、その理解の仕方と実践が不十分なものであって、当世の常識からして違和感を持たれようとも、歯科治療を行う際にInitial Preparationが必須初動の処置として最重要であることを思えばこそ、あえて筆をとることにした。
 前置きが長くなったのも、いかに戸惑いながらの記述かを理解いただきたいためであるが、読者諸兄からの厳しいご指摘ご批判を抑ぐと同時にご指導をお願いする次第である。


T.Initial Preparationとは
 Initial Preparationという言葉そのものは、Dr.Goldmanによって1940年代中頃から使われはじめ、1950年代終わりにはその考え方が確立し、1960年代には定着したと伝えられている。しかし、そのInitial Preparationの内容については、Dr.Goldmanが来日(1974)しての講演とか、翻訳出版もされてあるGoldman-Cohen編Periodontal therapy第5版(1973年)に載っている項目のものと、Initial Preparationの考え方が確立した時期といわれる1959年に、GoldmanとBurketにより発表されたとしてPeriodontal therapy第6版(1980年)に載っている項目のものとは少し異なっている。
Initial Preparationを理解し、臨床に応用しようとするとき、Initia1という言葉からして、まずは何をおいても最初に!というのであれば、その説明項目の最初の部分が異なっているのは、何とも気になるのである。
 第5版(1973)では、Initial Preparationが確立したといわれる頃より10数年経過して、洗練されたがゆえに、Scaling&Root planingという治療項目から始まるのか。そして、Scaling&Root planingの説明文ではInitial Theraphyと添え書きがしてあるのはなぜなのか。それはInitial Preparationであっても、そのなかでのInitial Therapyであるということなのか、あるいは、Initial Preparationとlnitial Therapyが同義的に混同されて使用されているからか。たしかに、第5版では他の執筆担当者の文中でも、Initial PreparationとInitial Therapyを同義に使用していると思われるところがみうけられるのであるが、第6版ではどういうわけかそれが少なくなっているように思われる。
 そしてまた、第6版でのInitial Preparationの内容説明に、Goldmanの1959年のものをわざわざ記載したのはなぜなのかなど、筆者には解らないことが多いが、そのことを理解しようとする前に、筆者の歯周治療への関心のあり方にふれておく。

表1 Initial Preparation.
Goldman-Cohen編, Periodontal therapy第5版, 1973年

1. Scaling and root planing
2. Instruction in oral physio therapy
3. Excavation of all caries treatment of endodontic problems and extraction of hopeless teeth or parts of teeth such as a hemisectlon or root amputation
4. Tooth movement procedures
5. Temporary stabilization of mobile teeth
6. Occlusal adjustment by selective grlnding
7. Reevaluation


表2 Initial Preparation.
Goldman-Cohen編, Periodontal theraphy第6版, 1980年
Goldman and Burket, 1959年

1. Emergency care and documentation
2. Instruction in oral physio therapy
3. Scaling, root planing, and soft tissue curettage
4. Excavation of all caries, and treatment of endodontic problems
5. Extraction of hopeless teeth or parts of teeth, for example, hemisection or root amputation
6. Tooth movement procedures, for example, modified Hawley bite plane therapy and adjunctive orthodontics
7. Temporary stabilization for moble teeth or anchorage for tooth movement
8. Occlusal adjustment
9. Reevaluation


U.歯周外科へのかかわり
 近年における歯科治療法には流行があるようで、筆者もその流れに沿っていたように思う.つまり、筆者が臨床とのかかわりを強く意識した1972年頃は、Crowm&Bridgeの咬合論が主流であり、ついで、その外冠を成功させるべく、内部的問題としての根管処置が話題になった。その頃の治療対象歯のほとんどは既成治療の不良のためと判断しての再:治療をしていたのである。特に失活歯の場合など、根管治療をした上に支台築造をして、そして鋳造冠(または陶材金属ポーセレン焼付冠)を装着するという一連の処置を行っていた。そして、そのような大がかりの治療をした歯牙を長期に保全するために、その歯牙を取りまく歯周組織に関心を向けざるを得なくなってきたということだと思う。そして、その歯周病治療においても、歯石とPocketの存在そのことが病状増悪因子と考えられ、医療者の手によりそれらを除去することが歯周処置であるかのような時期もあったかと思う。
 このように1970年代、歯周治療は一部の歯科医を除いて、一般臨床医にとっては不鮮明なところも多かったのではないかと思う。そのような折Dr.Goldmanにより,、その歯周治療の流れのなかでも、Initial Preparationを明確化し、歯周処置必須施療法の第1として示してくれた講演は大きな影響を与えた。また、であるからこそ、筆者はその第5版にいう@Scaling&Root planingから始まって、FReevaluationまでの7項目を不十分な理解の中でも完結することこそ、一般開業医における歯周病に対するせめてもの処遣であると思っていた。そして、その結果での病態により、歯周外科を導入していくということで、歯肉歯槽粘膜形成手術などをも実施していたのであった。

V.片山恒夫先生との出会い
 そのような日常臨床の中にあって、プラーク・コントロールを確実に定着させることを根底とした歯周治療,および歯科一般の施療であったはずのものが、患者再来時には、医療者側の勝手な想い込みでしかなかったということを見せつけられ、プラーク・コントロールの難しさに悩んでいた頃の1981年秋に,"第1回片山恒夫先生に臨床を聞く会−長期保存を可能にする臨床、特にペリオ対策について−"に出席する機会を得た。この片山歯研セミナーでは、総論としての医療の考え方ばかりでなく、各論としての歯周治療に対する考え方にも、全く別の方向からとらえることがあることを知った。
 片山先生の歯周治療は歯周外科というよりも、むしろ歯周内科とよぶべき施療法である。それは患者さん自らが、日常生活における病因を徹底的に除去しつづける患者医療積極的参加という医患協働体制での治療法で、要抜歯と思われるほどに進行した歯周疾患の歯牙をも、外科処置をすることなしに長期に延命させていたのであった。
 そのような臨床のあり方は今までの筆者のものとは全く異なっており、外来知識から学んで出来上ったということではなく、片山先生自らの生き方の中で自ら確立してきたものであった。
 そして、筆者としても片山先生と同じく歯科医療に従事してきたと思っていたその土俵そのものがあまりに人きく異なっていたということに気付かされたのであった。


 本症例を通して想うことは、生体にある自然良能の存在の確認とその証明である。
  
これからの歯科医療の考え方と進め方
 歯科治療が行われるにあたっては、
@ 目的となる口腔あるいは歯牙がよく診査され、熟知される
A 治療実践者に知識と経験があり、そのうえ能力の限界をも心得ている
B その両者間での治療活動を遂行可能にする環境条件がそろう

 などの3構成要素が組織的に統合されたところでのみ、成功に導かれるといわれている。
 しかし、この治療体系だけではその歯科疾患を身体の部分的障害として、一口腔単位のなかで独立させてしかとらえていないことになる.身体の一部分がわざわざ支障をきたし、その人を苦しめるのはなぜなのかというように、少しでも考えを深めてみれば気づくことである。
 すなわち、結果としての症状が部分的に出現したとしても、その真因は全体的問題のなかにあり、その真因が正常化されないかぎり、結果としての歪みは必ず再び生じてくるものである。医療が行われている現場では、その障害部分だけを取り出した対症療法が行われているにすぎない。
 歯科治療が医療として行われ、それが身体臓器として生かされていくためなのであれば、医療者が患者さんと出合って治療活動を行う場合には、まず第一にその対象を患者さん丸ごとの一身単位として捉え、心身一如としての対応がなされなければならないはずである。
 すなわち、
@ 人はなぜ病気になるのか
A その病気は治るのか
B 病気をなおすにはどうすべきなのか
C 再び病気にならないようにするには、どうすればよいのか
D 病気になった人は、治るのか、直るのか、癒されるのか
E 病気とかかわりをもってしまったことはなにを意味するのか
(その人の一生になんのかかわりになるのか)

などの点で、患者さんとの出合いを受け止めるべきである。
 これらは医療においての最重要な問題であるのに、そのいくつかはいままであまり問われなかったようなので、明確な答が出せることではないであろう。しかし、もし、これらの問いに医療者が答えられれば、患者さんはその本分を得ることになるであろうし、もし医療者とのかかわりをもってしても答が得られないとしたら、患者さんにとって病気になってしまったことは、病気に耐えて生活せねばならないヒト(patient)となってしまったことだけになる。そしてその担当医療者としても、よくて単なる応急手当師としての修理屋にしかなりえないであろう。
 医療担当者は常にこのことを心に留めておき、その患老さんへの適切な答を導ぎ出せるように努力し精進しなくてはならない。特に、歯科2大疾患は日常のさりげない生活習慣に由来していることが明らかなのであるから、
@に関しては、患者さんにしてみれば「むしろ文化的なよい生活をしていて、なんら悪いことはないはず」と思い込んでしまっている。そのさりげなさのなかに、実は不調和があったということなのである。だからそれを押しつけ強調することなく感じとってもらい、意識しての生活へと、患者さんみずからに改善していただかなければならない。
 Aに関しては、症状は条件を整えれば緩解されうるということ、しかし、自然治癒力のない組織では元に戻れないということを医患ともに理解すること、であるが、現在までの歯科領域では齲蝕を中心に活動していたため、歯冠部の自然治癒力のない硬組織だけの取り扱いに慣れすぎてしまっていた.そのため、血液の流れのある所は生きているのであり、すべて自然治癒力のある変化しうる組織であることを、医患ともに忘れてしまったかのようである。
 Bに関しては、真の病因除去が継続的に成功しているなかで、病変組織の改善が行われることである。
 Cに関しては、根本原因対策が完備すること、すなわち、永続的に病因除去が定着し、改善された生活が習慣化し、健康増進のための日常生活を喜びをもって自主的に送れるようにすることである。
 Dに関しては、対症療法だけの緩解なのか、その病因となった生活をも直させうるるか、患者丸ごと心身一如としての治療がなされるその体験から光明をみとれるようになるか、であろう。
 Eに関しては、みずからの身体が蝕まれたことを通して、生かされていることに気づき、自己に目覚め、自然への畏敬の念と感謝の心が生まれ、それを育むことになるのではないだろうか。
 この生かされていることへの感謝が、医療の現場で育てられることによって、患者さんは、虫歯1つできてしまったことをも、自分の糧にしていけるのではないのかと思っている。
 別の見方をすると、われわれ人間は他の生物と同様に、実は自然のこの地を土台として生活しているわけであるが、いつの日からかその自然環境との平衡関係が保てなくなり、自己管理の域を脱してしまい、それを補う意味で医療が必要になってしまった。その原因はさりげない日常生活のなかにあり、多くの場合は、無自覚に、あるいはわかっていてもその状況での欲望に負けてしまって、みずからのおかれている環境条件とのバランスを崩してしまったということにある。
 この自然環境にはその摂理として自然淘汰という理があり、反したものは淘汰されてしまうということは誰しも認めるところである。そして、われわれが日常行っている医療の理論的根拠としている医学は、その自然淘汰に真っ向から対立するところにその存在の意味がある。しかし、自然の道理、摂理に反したものが、どのようなことであったとしても、過去において正当とされ、そして存続を許されたことは全くなかった。
 反発するとはいえ、この地にいまも、そして今後とも人間が生存を続けようとするのであれば、自然環境との営みをとりつくろう意味での医療は欠かすことができない。それこそが、人類の目的である永続的種族保存のために必要であると思われている。しかしその前に、個々人の範囲としての個体維持の集積がその目的に向かうものであるから、1人1人がそのおかれている環境との平衡関係を保ちうるようにならなければならない。
 だとするならば、自然淘汰に真っ向から対立するかともいえる現在の医療にも、医としての理があってしかるべきであり、その道こそ医道ということに.なるのではないだろうか。
 医療とかかわり、それを糧に生活する者として、自然の道理と相反しない存在の意味は、その対象となる人それぞれが1度は患老さんという立場に陥り、医療者への依存にあずかったとしても、その臨床の現場でその担当者の良導によって患者さんみずからが管理できるようになり、自主的健康回復への道に目覚め、健康人としての永続的な自立に成功し、患者(patient)としての立場から自立して、健康増進指導を受ける依頼者(client)に成長すること、この道にしかないであろう。
 そのためには、完壁さを追求し達成することをもってよしとする現代歯科学の渦中にあっても、その理想的な完全な治療への想い、そのことのなかにある"安心"という陥し穴に医患ともに陥いることなく、自己を確立していくこと。そして、アロパシー医学では説明しぎれていない生体のもつ自然良能を認め、それを回復させ、加えて賦活していけるような生活へと善導していく臨床活動こそ大切である。それが道理に反さない正当化されうる医療となるのではないだろうか。
 鎌倉時代の道元禅師は、その著r正法眼蔵』のなかで「仏道をならうというは、自己をならうなり.自己をならうというは、自己を忘るるなり。自己を忘るるというは、万法に証せらるるなり……」と述べているが、仏道というところを、医道をならうというは……と置き換えてみると、そこに真実が浮かびあがってくるようである。
 それと関連して、「医療を成功に導くための人問関係のあり方」をテーマにした片山二次セミナーで、片山恒夫先生は、「いとわない」精神と行動とを述べられたのであるが、これこそが医療者必須の条件であり、このいとわない心こそ「自己を忘るる」ところであると感じ入った。
 結びとして、古来日本には"医は農に学び・農は自然に学ぶ"という諺があるが、現代歯科医学の最先端にあると自他ともに認める米国でも、そのなかにあって、偉大なる歯科医師Dr.W.APriceは、その著書『食生活と身体の退化』の巻末に、「生命があらゆる面で十全であるためには、この母なる大自然に従って生きなければならないのである」と記している。まさに理は時代を越え、そして洋の東西を問わず、変わりえようはずがない。


この小文を書くにいたるには、多くの先輩諸氏の影響・教えを受けてぎている。特に、真泉平治日本歯科大学名誉教授と薬理学教室員の皆様、Dr.Daryl R.BeachとHPIの皆様、久保慶浩先生とエンパイア歯科の皆様、駒沢大学教授・鈴木格禅老師、片山恒夫先生と片山歯科研究所の皆様には心より感謝するところであります。また、いたらぬ私をここまで導いてくださった患者さん各位には尊敬と感謝を申しあげたい。



1)Beach,D.R.編:歯科ホームポジション診療のシステム.医歯薬出版,東京,1975.
2)Beach,D.R.編;歯科医療の論理と実践.医歯薬出版,東京,1976.
3)Beach,D.R.:コミュニティヘルスのための歯科協同組織.General practicein dentistry5.
 システムプランニング販売局7大阪71978.
4)片山恒夫:ある開業歯科医の想い.豊歯会,大阪,1983.
5)Price.W.A.(片山恒夫訳):食生活と身体の退化.豊歯会,大阪,1978.
6)Goldman,H. et al.(石川純,佐藤徹一郎監訳)
 :ゴールドマン&コーエン歯周治療学(第5版).医歯薬出版,東京,1979.
7)浜田茂幸:虫歯はどうしてでぎるのか.岩波書店,東京,1982.
8)橋本行生:あなたこそあなたの主治医−自然治癒力の応用−農山漁村文化協会,東京,1982.
9)小倉重成:自然治癒力を活かせ−難症治療の決め手−.創元社7大阪シ1980.
10)Weil,A.(上野圭一訳):人はなぜ治るのか.日本教文社,東京,1984.
11)渡辺格:人間の終焉.朝日出版社,東京,1976.
12)池見酉次郎:セルフ・コントロールの医学.生態学的栄養学研究,(8):51〜63,1984.
13)沼田勇;医学の不安−死滅の危機と生存の処方−農山漁村文化協会,東京,1977.
14)加藤辮三郎編:末燈抄.日本放送出版協会,東京,1982.
15)福岡正信:自然農法一緑の哲学の理論と実践.時事通信社,東京,1983.
16)尾崎正俊;患者さんと何について話したらよいか.クイソテッセンス・ジャーナル,(9):7〜13,(10):7〜13,1983,
17)高橋堅−歯周外科は是か非か−歯周疾患を通しての私の対応一.デンタルエグゼクティブ,1(2) 67〜7071984.
18)久保慶浩ほか:歯周外科は是か非か.デンタルエグゼクティブ,2(2):55〜70,1985.
19)藤巻五朗:歯周外科は是か非か一歯周疾患治療とフィジォ・セラピーrデンタルエグゼクティブ,2(1):66〜70,1985.
20)藤巻五朗:アマルガムによるコアークラウン.デソタルダイヤモンド,3(11):92,1978.
21)藤巻五朗ほか;ファミリーデンティストをめざして.デンティスト,6(7):67〜74p1981






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